そうだ、僕を騙しているという証拠でもあるのか? 霞流の家に?
知りたい。聞きたい。
衝動が瑠駆真を掻き毟る。必死に抵抗する。
一方、言ってはみたものの、明確に提示できる証拠も事象も持ち合わせてはいない緩。相手の言動に不信は抱きながらも、それ以上食い下がる事ができない。
結局はどう返答すればいいのか窮する相手に、瑠駆真は溜息をつく。もう白い息など漂わない。指先も冷たくは無い。だが時刻は零時を過ぎている。
「こんな夜更けに、くだらない時間潰しはしたくない。寝過ごして遅刻するのも御免だからね。僕は行くよ」
そうして背を向け、通りを去っていった。その後姿を呼び止めたいとは思いながら、だがどう声をかければよいのかわからず、結局は苛立ちを滲ませたまま見送るしかない緩。
明らかに、動揺はしていたと思うんだけれど。
右手を胸に当てる。
失敗、したかと思っちゃった。
大迫美鶴を悪く言えば、瑠駆真の反感を招くのは間違いないとは思っていた。実際、それなりに反感は買ったとは思う。だが、思わぬ収穫もあった。
霞流。
あの家に、何かあるのだろうか? そもそも、大迫美鶴がどうして幸田さんとあんなに仲が良いのか、それを不思議だとは思っていた。
幸田さん。そうだ、そういえば、衣装はどうなったのだろう?
連絡、取ってみようかな?
緩はポケットに手を突っ込み、携帯を握り締めた。
GWの電車は、富丘へ向かう路線は空いていて、でも誰もがなんとなく澄ましているようで、緩は落ち着かなかった。電車には乗り慣れているが、普段乗らない路線というのはそれなりに新鮮だし、富丘という土地へ向かっているという緊張感もある。
あの土地に用事のある人って言えば、お金持ちに決まっている。
そんな場所へ今の自分が向かっているのかと思うと、なんとなく優越感が沸く。
幸田にはすぐに連絡を取った。丁寧な口調で応対され、同時に謝罪された。
主人の一人である霞流聖美という女性の仕事が忙しいらしく、それを手伝っている幸田も何かと忙しかったらしい。もともと商品として売り出すつもりではなかった緩の衣装は、ついつい後回しになってしまっていたのだとか。
GWには一段落するから、そうしたら再び手を掛ける事もできる。どうせ学校も休みなのだろうから、よかった来ないかと言われ、緩は躊躇はしたものの、結局は承諾した。
駅を出て、丘の上を目指して坂を上る。新緑の美しい街路樹が品良く並び、洗礼された住宅街が続く。ところどころに顔を覗かせるカフェのような佇まいのテラスで、婦人が午後のひとときを堪能している。
素敵。
緩はチラリとそちらへ視線を投げ、だが慌てて口元を引き締める。
馬鹿、世間を知らない庶民に間違えられるでしょっ!
背筋を伸ばし、まるでこの通りなどいつも通い慣れているかのような気取り足で坂を登っていった。
だが、さすがに門の前では気後れした。
インターフォンを押すと、すぐに反応があった。幸田が事前に他の人間へも知らせておいてくれたようで、すんなりと中へ入れた。
映画のセットの中にでも紛れ込んだかのような庭。ちょうど一年ほど前に、義理の兄がこの庭を通った。植物園かと驚嘆した。
素敵ね。
周囲の鮮やかな緑に見惚れながら玄関へと向かった。
幸田には笑顔と共に迎えられ、応接へ通されると今度は申し訳なさそうに詫びてきた。
「ごめんなさい。ちょっと急に仕事が入ってしまって」
「え?」
「聖美様に、至急の手直しをお願いされているの。どうしても時間が無くって。一時間ほど待っていただけるかしら? お呼びたてしておいて本当に申し訳ないのですけれど」
「はぁ」
「こちらの応接室は自由に使って頂いて構いません。テレビもありますから自由にご覧になっていてください」
「は、はい」
「お茶をすぐにお持ちしますね。こちらの壁のベルを押していただければ、誰かはやってきますから」
そう言うと、幸田は慌しく部屋を出て行った。
忙しいんだな。
屋敷仕えというとのんびりとしたイメージがあるが、忙しい時もあるようだ。と言うか、忙しいのは聖美という女性のせいらしい。
女主人?
ゴージャスに髪の毛を膨らませ、奇抜な化粧で顔を多い、顎を上げて自分を見下す女性を想像した。それが緩のイメージだ。
幸田さん、大変そう。
会った事も無い女性は、緩の中で勝手に妄想され、それは気難しく我侭な女性となって、幸田をあれこれとコキ使う。
使用人って、大変なんだなぁ。あ、でも、ここの屋敷はその聖美ってひと一人の家ではないんだよね。
他には?
ソファーに腰を下ろし、顎に手を当てる。その耳に、甘く沁み入るような声。
「霞流慎二と美鶴の事を、何か知っているのか?」
大迫美鶴に、駅舎の管理を依頼した人物、だっただろうか?
その程度の情報なら緩も手に入れている。なにせ華恩の命令で美鶴の周囲を勘ぐっていたのだから。
だが緩は、その人物の顔も知らない。当時、華恩の関心は瑠駆真と美鶴との関係にあった。たかが駅舎の管理を依頼した人物など、さして重要でもないと思っていた。
大迫美鶴との関係? 駅舎の管理を依頼されただけという関係では、無いのだろうか?
ほどなくして、女性が一人、盆に紅茶を乗せてきた。幸田はしばらく手が離せない。用があれば壁のボタンを押して欲しいと告げた。紅茶がセットされていくのを見ながら、その沈黙に耐えかねて、素敵な庭ですねと言ったら、屋敷は広いので、一人で見て回るのは辞めて欲しいと言われた。
別にそういうつもりじゃなかったんだけどな。見物客根性でもあるのかと勘違いでもされただろうか。
なんとなく小っ恥ずかしくなり、それ以上は何も言えなくなってしまった。だから、霞流慎二の名前も出せなかった。
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